【最新刊】『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』16巻の感想・考察

この記事では、『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』16巻を読んで感じた感想・考察をざっくり書いています。

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『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』16巻のあらすじ

まずは16巻のあらすじです。

宴で巻き起こるのは――シルとのデート!?

『ベルさんへ。今度の女神祭、デートしてください』

「「「「こっ、恋文だぁぁぁ!!」」」」
「ええええええええええええええっ!?」
街娘からの一通の手紙が波乱を呼ぶ!
挽歌祭とともに『二大祭』に数えられる『女神祭』で、ベルはなし崩し的にシルとの逢瀬に臨むことに。
だが、何も起こらない筈もなく! 豊穣の女主人、剣姫、更には【フレイヤ・ファミリア】を巻き込んだ大騒動に発展してしまう!

「全ては女神のために。――死ね、娘」

そして訪れる凶兆。一人の少女を巡り、都市にかつてない暗雲が立ち込める。

これは少年が歩み、女神が記す、

──【眷族の物語(ファミリア・ミィス)】──

女神祭でシルとベルがデートを行う物語になります。

そして、誰の口からか発せられた、意味深の言葉。

16巻は、シルに焦点を当てた内容になっています。

注意
以下、ネタバレになります。

【ネタバレ】『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』16巻の感想・考察

読み終わったら、もう一度読み直したくなる

そんなお話です。

文章の書き方がとてもうまく、見事にしてやられたと感じてしまいます。

二度、三度と予想を裏切ってくれます。

そして、最後になって、少女が誰であるか教えてくれます。

シル VS フレイヤ

これがすごく上手く描かれています。

最初読み進めていくと、なんとなくシルがベルを好きになったため、フレイヤに勝負を持ちかけるようにとらえられます。

しかし、これは違います。

まず最後に、シルが神威を解放し、フレイヤになるような描写が描かれています。

つまり、シル=フレイヤがほぼ確定したということです。

そして、フレイヤとシルの出会い。

これは、「ファミリアクロニクル episodeフレイヤ」でも描かれている場面ですが、それに加えて『運命』を交換したと断章で付け加えられています。

そのあとの六章でそれが、『真名』の交換であったことが明らかになります。それが契約とも記されていました。

シルはフレイヤに『シル』という名をあげ、フレイヤは『ヘルン』という名をシルに渡します。

つまり、「ファミリアクロニクル episodeフレイヤ」で描かれていたシルは、現在のヘルンであるということです。

「シル VS フレイヤ」のシルは、契約前のシルであったということになります。

Monologueは〇〇の回想

これもヘルンの正体があきらかにならないと、気づかない部分でしょう。

ヘルンは、フレイヤの眷属となる時に、変神魔法を授かります。

これはフレイヤの姿になることができ、発動している間は五感も共有できるという能力です。

ヘルンのフレイヤになりたいという思いが、ファルナによって叶えられた形になるでしょう。

フレイヤであるシルがベルとのデートの時に、豊穣の塔にいたフレイヤはヘルンであると考えられます。ベルがフレイヤからの視線が冷たいと感じるのもそうすれば筋が通ります。

Monologue Ⅲも、ヘルンが変神魔法でフレイヤの姿で豊穣の塔にいるときの様子でしょう。

語尾や口調から、シルだと勘違いしそうですが、Monologueすべてをヘルンだと考えれば筋が通っているように思えます。

Check
ヘルンおよび16巻のヘルン視点について、こちらの記事で詳しく解説を行っています。

フレイヤがこだわっていたモノ

エピローグに、次の記述があります。

自分があれほどこだわっていたモノに、こんなにも無関心になれている。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』16

このモノとは、シルのことかと思います。シルにこだわっていたというよりは、神という存在ではない、自由なようなものかもしれません。

この前後で、ベルのことは誰にも渡さないといっていますので、ベルにお熱であることは変わっていません。

そして、

少女は死に、彼女は笑った。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』16

これはヘルンが、アレンたちに殺され、契約が破棄されたことを意味しているかもしれません。

もしかしたら、フレイヤの中でシルという存在の意味がなくなったことを意味しているかも・・・

このあとにシルが神威を解放し、フレイヤという名前が出てきます。

イラストを見ると、フレイヤとシルは似たところが多いものの、目の大きさがはっきりと違います。

これも神の力でなんとかなるものなのでしょうか。

プロローグにて

プロローグⅡは、シルのことが描かれています。

シルがヒューマンであるならば、「下界は残酷」などという表現はしないものかもしれません。

ここにもシルが女神であることが隠されていたのかも。

『 』には何が入る?

神は眷属である子供たちを愛しています。

そして、これは『愛』なんかじゃないとプロローグでシルは考えています。

『 』の類義語で行ったら、好きとか恋とかありそうですが、シルは何を証明したかったのか・・・

追記:『私』であると予想します。つまり、『私』の証明です。シルがシルであることを証明したかったのかと思います。ダンメモ「真夏の夜の恋宴」のラストでそれっぽいことが描かれています。

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